パニック障害 アラフイフ主婦の挑戦!

48歳で尿膜管遺残による尿膜管膿瘍を発症。パニック障害を抱えて30年以上。みんなが簡単にできることができなくて、苦悩する日々。フリーランスで働くつもりだったのに勇気が出なくて今や専業主婦...。そんなお籠り生活もそろそろ限界になってきたのです。

母からの電話に動揺

4月27日の日記から

 

朝、目覚めた時、布団の中で寝返りするのが痛くなくなってきた!
と思えて、嬉しくなりました。
少しずつでもよくなっているんだなあと実感できました。
(まだこの時は自然に治ると信じていたのです)


今日も通院。
午後の治療でした。
洗浄時に針を使うようですごく痛く、「ひえ〜!!」。
昨日もそうでしたが、終わった後はしばらく痛みで辛いのです。
それでも痛みの範囲が小さくなった気がして、歩けることが快感。

 

夕方、母から電話がありました。
発病してからはLINEで状況を伝えていたので、
病気の状態を話すは初めてでした。

電話がかかってきた瞬間、緊張するかんじ。
その思いは…
「電話で話すと長くなりそう」
「また心配しちゃうだろうな」
「今後のこと(手術)言われるかな」とか
母と話して安心できるというよりは、電話に出るのが億劫でした。

 

そのせいか、電話で話しているときの私(内心)は動揺しまくり。
一通り話した後、落ち着きを取り戻せると、母の言葉がじわじわと心に届きます。

 

40代後半から50代前半にかけては体の変化が起こりやすときとのこと。

年齢的に健康には注意した方がいい、
人間の体力についてなどなど、そうだなと思えることがたくさんありました。

「あ〜、話せて良かった」と思いました。

最後、電話口で母が「頑張って」という言葉を聞いたときは、切ない気持ちに…。

声のトーンで本当に心配させちゃっているとわかったからです。

早く元気になって、この状況を乗り越えたい。
これがあったから成長できたと思えるよう頑張りたい。

「うん、頑張るよ」と母に言えて、改めて気持ちを前に向けられました。

(続く)